山田地区の復興状況
三陸シリーズその2です。
今回は釜石と宮古の間にある山田町を拠点として動きました。というのも大学の先輩が山田町役場で一年間復興支援として派遣されているからです。場所はこちら。
盛岡から宮古経由、釜石まで山田線という鉄道があるのですが、震災で流されて未だに不通…。錆びたレールが物悲しい感じです。山田の中心地にあった陸中山田駅も、津波の後に起こった火災で全焼しました。こちらに来るまで津波被害の印象ばかり大きかったけれど、津波後の火災も相当なものだったみたいです。
震災から4年経ちましたが、まだ中心地は復興の真っ最中。漁業の町だったため海に面した土地が必然的に中心地となり、結果的に津波で全部さらわれてしまいました。助かった人達は取り敢えず高台の仮設住宅に移り、無人になった土地を整地した上で5メートルの盛土をし、かつ10メートルの防潮堤を建設。それが済んでからようやく戻ってこられるそうです。下の写真は盛土上から海方面を写したもの。プレハブは建設事務所や仮設の商店街です。
左が海。左から右に向けて津波が走りました。この方向は陸中山田の駅があった場所ですが跡形も無い感じ。
盛土構築のためなどに使われるダンプカー、勢ぞろい(日曜だったので工事はお休み)。
写真の黄色い部分はほとんど盛土がされる箇所。山田だけでなく三陸海岸で集落のあった場所は大抵こんな感じでかさ上げされます。釜石から青森県境付近までずっと走ってみましたが、海岸で平地があるとどこもこんな感じで工事中です。
下の写真は宮古から北のある集落付近。レールは宮古から久慈まで走っている三陸鉄道北リアス線。某連続テレビ小説で舞台になった地域です。
下の写真は山田湾にできつつある防潮堤。目下工事中です。3.11規模の津波が来た場合、この防潮堤で時間稼ぎをした上、人の住む場所は盛土で守る、というのが基本対策とのこと。それでも浸水する場所は住居地区としては認めず、商業地等に転地させる方針みたい。
そうすると、浸水予定地区の元住民は強制転居となります。細かい相違はあるけれど、ざっくり言うと転居した先の土地代くらいまでは復興補助金で出るようですが、家の新築までは補填されないみたいです…。
これは山田の隣、大槌(おおつち)町の旧役場です。被災したまま残されています。
山田湾沿いの旧防潮堤。3.11で破壊されてそのままです。向こう側の磯ではシニア夫婦が海藻採りをしていました。天気も良かったからか、本当に静かな海。いわゆるリアス式海岸の湾内なので波もほとんどないです。
今回は先輩に車を出してもらい、国道45号線を南北に走り回ったのですが、どこにでもこんな標識がありました。3.11の時に浸水した区間がわかるようになってます。ただ、あくまでもこれは3.11のケース。あれより大きな津波が来た場合はアテになりません。震源地の場所や地震の規模で変動する要素なので、あくまで参考資料にすぎないでしょう。
今回山田を訪問する前は、「復興度合いを見てみよう」なんて軽く思ってましたが甘かった。計画の3割くらいの進捗という印象。でもそれは遅れているとかではなく、あまりに対象の範囲が広すぎるから。また浸水予定区域になる土地の用途が未定だったり、上記の転居費用の負担問題など課題も山積しているようです。できればまた秋にでも訪問してみたいです。