Flying Scotsman

府中、小金井、三鷹

こども野菜マルシェ2015

19日、小金井市ナンジャモンジャ京王通り商店街「納涼祭」でこども野菜マルシェのお手伝いをしてきました。これは最近私が関わらせてもらっている小金井の子育てポータルサイト「のびのびーの」での企画です。

トップ of のびのびーの!

 

今回はただ売るだけでなく、事前に売る野菜を自分達で収穫し、商品企画(パッケージ野菜の組合せなど)、親御さんから「出資金」を募って「資本」を集め、「経費」「売上」など一連の流れをビジネスとして(もちろん要所は大人が抑えてですが)経験し、当日がんばって売って利益を出そう!という趣旨です。

 

祭の前日、市内のポモナ農園さんの協力により収穫、そして値段付け、パッケージ作業。雨の中、ミニトマト、なす、万願寺とうがらし、枝豆を収穫しました。

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そして袋詰め。それぞれ子供達が企画した「〜セット」としてパッケージしています。「めちゃみどり」セットはきゅうり、枝豆、万願寺とうがらしなど緑色の野菜ばかり集めたセット。その他「夏カレーセット」「げんきセット」など自由に組合せてもらいました。

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収穫などご協力いただいた五日市街道沿いのポモナ農園さんはこちら。

pomonafarming.com

 

そして当日。開始時に雨がぱらついたので心配でしたが準備中にやみ、販売スタート!

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こんなPOPも皆に作ってもらいました。きゅうりは80本以上仕入れたのですが、2時間以内で完売!

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ハチマキをして出張販売をするの図。暑い中みんながんばりました。

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納涼祭自体は20時過ぎまでやっていたのですが、こちらは16時から18時までの販売で〆。残ったお金を数え、売上金を計算しています。

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で、結果は見事に黒字(多少大人で調整はしましたが)!

資金を返せるだけでなく、子供達に「利益」を分けることもできました。500円だけど。でもそのお金で早速みんな屋台に走って行きました。良かった良かった。

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私は今回ほとんど写真撮影係みたいな感じで事前準備などはお手伝いできなかったのですが、親御さん達をはじめとした関係者の皆様、そして当日声を張り上げて販売してくれた子供達、お疲れ様でした! 後日の反省会が楽しみです。

SMALL WOOD TOKYOさんで無垢材と触れ合う

先日、12日のイベントでお話してもらったSMALL WOOD TOKYOさんのオフィスにお邪魔してきました。対応してくれたのは代表の安田さんと小田原さん。

www.smallwood.jp

こちらは青梅など多摩地区のスギ、ヒノキで住宅材に適さない「SMALL WOOD」を無垢材(塗装や合板加工などをしない)のまま、採寸の後にパズルのようにはめるだけのフローリングや、直方体状の収納ボックスとして販売している事業を行っている方々です。

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早速オフィス兼ショールームに靴を脱いで上がらせてもらいました。扉を開けたとたん木の素敵な香りがし、それだけでなんだかホッとします。

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「どうぞ、裸足になってみてください」と言われ足を置いてみると、柔らかく、ぬくもりを感じます。当日は猛暑だったのですが、全くベタベタしない。

前も書きましたが採寸してから切り出し、パズルみたいにはめるだけなので賃貸物件でも導入可能です。このあと寝転がらせてももらいました。ごろごろすると、気持ちよい〜。

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トイレも無垢材で。建物を借り受けたそのままの状態では臭いがこもったりしたけれど、敷いてからは気にならなくなったそうです。消臭効果も相当あるみたい。

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これは「もてもてキューブ」。寸法は幅と高さが36cmでどのサイズでも共通、奥行きに応じてサイズがSMLとあります。その他にも写真右上のBookサイズやKIDSサイズも。これは値段も手頃でうれしい。

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これはオフィス内で通信機器を置くのに使っていた、もてもてキューブ。通風に気をつければ湿気にも熱気にもプラスチックなどよりは適していると思います。他にも使い方の可能性は沢山ありそう。よく見ればわかりますが溝が入っており、積み重ねて使用しても大丈夫。

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注文するとこのようなパッケージで届き、組み立ては自分で。

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これは非売品(?)の椅子。左にあるのはもてもてキューブを積んだ上に「もてSUGIITA」を載せた机。これは理想の机だ…、ゆくゆくは導入したいなあ。

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ショールームの引越を控えたお忙しい中、色々と説明してくれただけでなく、自分の個人的煩悶?にもアドバイスいただいた代表の安田さん、小田原さん、ありがとうございました!

「稼ぐまちが地方を変える」木下斉さん講演会

昨日、立川で地域活性化伝道師の肩書を持つ木下斉さんの講演を聞いてきました。会のタイトルが「狂犬ツアー」だったので、どれだけ強烈な毒を吐くのかと期待していたけど、内容は至極「当たり前」の印象。でもこの「当たり前」は今更語る意味がないということではないです。補助金に頼らない、営業をきちんとかける、利益をきちんと出す、身の丈の投資計画を立てる、という堅実な手法をきちんと順序立てて用いる、という実に論理的で民間では常識としてやっている当たり前な考え。でもそれが大抵どの街づくりでも実現できていないよね、という話。

 

著書にもあるけど行政は民間を信頼し、経営のことはよりプロである民間に任せる。今まで行政との接点が無かったようなalternativeな人達と一緒にやっていく。そして何より、市民はワークショップやイベントに「参加」するのではダメで、市民が当事者になって自ら実行するプレーヤーとなること、とのメッセージは自分にとって強烈でした。確かに今までずっと「参加」するだけで何か貢献できていたような錯覚に陥っていました。「観客ではなく、自分でバッターボックスに立つ」ことこそスタートだとも。

 

小さくはじめて、まずは黒字経営。余剰の一部は分配せず投資に回しながらだんだん規模を拡大していく。補助金に頼らず、稼げる仕組みを順序と過程を踏みつつ泥臭く、地を這うような地に足の着いたやり方で固め、金融機関から融資を受けてきちんと返していく。更に大事なのは「入れて、回して、絞る」。地域外からお金を入れ、地域内で回し、地域から出て行く分は絞って留保を増やす。ほとんど経営学の講義みたいな印象でしたが、この考え方こそ大方の地域にも、そして自分にも足りなかったですね。

 

木下さんから「お前も何かやるって言ってるみたいだけど、さっさとやれ。補助金に頼らず自分から、泥臭く知恵と時間をかけて」って言われているような気がした2時間でした。会場でよりもむしろ帰ってきてからじわじわ効いてきています。

 

三陸美味いもの

もう行ってきて3週間経ってしまいましたが、三陸海岸で食べた美味いものを記録。

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こちらは到着日の夜、宮古駅前「蛇の目」さんでのちらし寿司。閉店間際だったからなのか、酢飯の量よりもネタの量が2倍くらいありました。食べても食べても減らない!

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そしてここで、人生初のホヤに挑戦。醤油も何も付けずにそのままいってみました。うん、磯の香りを丸ごと食べている感じ。かなりしょっぱいけど嫌な感じではなく、これはいけます! ただちょっと量が多すぎた…。2、3切れで十分。

 

次の日は、朝早く山田を出て、青森県境付近の種市までウニを食べに行くことに。山田から120キロ、延々と45号線を北上します。漁港近くの「はまなす亭」へ。

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ウニ丼。焼きウニを求めて来たのですが、今日はないとのこと…。

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このお吸い物は「いちご煮」。といっても果物のイチゴは関係なく、ウニとアワビが具です。八戸付近の郷土料理みたい。

 

焼きウニに未練を残し次にどこに行くか検討したところ、某連続テレビ小説の舞台となった久慈近くの小袖海岸にある海女センターへ向かうことに。場所はこちら。

 

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車を降りて賑わっている方に歩いて行くと、いきなりウニをばりばり割っているおばちゃん達が! 写真撮らせてください、と言いながら近接してみると、「500円で食べてみる?」と。

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おばちゃんがペンチみたいなので割ったのを、そのままトレイに載せてくれ、スプーンでほじっていただきます。うん、ホヤとは違うけどこれも磯の味。さっき食べたのとは違い、海水の塩っ気がそのまま味付けになってる!

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同じく海女センターで食べた「まめぶ汁」。すいとんみたいな醤油味だけど、お団子の中にはクルミが入っています。しかししょっぱいものばかりだ…。

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ウニを堪能した後は、龍泉洞という鍾乳洞に行くために宮古方面に戻ります。これは途中の野田で口直しに食べた、道の駅のだで売っている塩ソフトクリーム。後ろは三陸鉄道北リアス線の陸中野田駅です。

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怒涛の二日目、山田に戻って先輩行きつけの仮設商店街「初音」にて夕飯。「適当にご飯作って」みたいに頼むとお刺身定食と焼き魚、そしてホヤが出てきました。「ホヤの後に味噌汁を飲むと美味しいわよ」とおかみさんに勧められてそうしてみると確かに美味い。レモンをかけても味が引き締まってよろしい。ホヤ大好き。

 

そして最終日、山田から宮古経由で盛岡まで送ってもらいました。盛岡に来たなら食べとけ、という「福田パン」さんへ。

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コッペパンをベースに中に挟む具材をよりどりみどりで選べ、かつ安いのがウリの地元民に愛されるパン屋さん。訪問時も行列ができてました。 

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ジャムとバターでシンプルに。これで180円くらいです。これだけで結構お腹にたまります!

盛岡に来たならわんこそばとかじゃじゃ麺とか冷麺を食べるべきだったのでしょうが、さすがに食傷気味…。この後は普通にお蕎麦だけ食べ、名残を惜しみつつその日のうちに多摩に戻ってきました。次はカキやホタテの時期に行きたいですね。

山田地区の復興状況

三陸シリーズその2です。

今回は釜石と宮古の間にある山田町を拠点として動きました。というのも大学の先輩が山田町役場で一年間復興支援として派遣されているからです。場所はこちら。

盛岡から宮古経由、釜石まで山田線という鉄道があるのですが、震災で流されて未だに不通…。錆びたレールが物悲しい感じです。山田の中心地にあった陸中山田駅も、津波の後に起こった火災で全焼しました。こちらに来るまで津波被害の印象ばかり大きかったけれど、津波後の火災も相当なものだったみたいです。  

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 震災から4年経ちましたが、まだ中心地は復興の真っ最中。漁業の町だったため海に面した土地が必然的に中心地となり、結果的に津波で全部さらわれてしまいました。助かった人達は取り敢えず高台の仮設住宅に移り、無人になった土地を整地した上で5メートルの盛土をし、かつ10メートルの防潮堤を建設。それが済んでからようやく戻ってこられるそうです。下の写真は盛土上から海方面を写したもの。プレハブは建設事務所や仮設の商店街です。

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左が海。左から右に向けて津波が走りました。この方向は陸中山田の駅があった場所ですが跡形も無い感じ。

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盛土構築のためなどに使われるダンプカー、勢ぞろい(日曜だったので工事はお休み)。

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写真の黄色い部分はほとんど盛土がされる箇所。山田だけでなく三陸海岸で集落のあった場所は大抵こんな感じでかさ上げされます。釜石から青森県境付近までずっと走ってみましたが、海岸で平地があるとどこもこんな感じで工事中です。

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下の写真は宮古から北のある集落付近。レールは宮古から久慈まで走っている三陸鉄道北リアス線。某連続テレビ小説で舞台になった地域です。

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下の写真は山田湾にできつつある防潮堤。目下工事中です。3.11規模の津波が来た場合、この防潮堤で時間稼ぎをした上、人の住む場所は盛土で守る、というのが基本対策とのこと。それでも浸水する場所は住居地区としては認めず、商業地等に転地させる方針みたい。

そうすると、浸水予定地区の元住民は強制転居となります。細かい相違はあるけれど、ざっくり言うと転居した先の土地代くらいまでは復興補助金で出るようですが、家の新築までは補填されないみたいです…。

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これは山田の隣、大槌(おおつち)町の旧役場です。被災したまま残されています。

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山田湾沿いの旧防潮堤。3.11で破壊されてそのままです。向こう側の磯ではシニア夫婦が海藻採りをしていました。天気も良かったからか、本当に静かな海。いわゆるリアス式海岸の湾内なので波もほとんどないです。

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今回は先輩に車を出してもらい、国道45号線を南北に走り回ったのですが、どこにでもこんな標識がありました。3.11の時に浸水した区間がわかるようになってます。ただ、あくまでもこれは3.11のケース。あれより大きな津波が来た場合はアテになりません。震源地の場所や地震の規模で変動する要素なので、あくまで参考資料にすぎないでしょう。

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今回山田を訪問する前は、「復興度合いを見てみよう」なんて軽く思ってましたが甘かった。計画の3割くらいの進捗という印象。でもそれは遅れているとかではなく、あまりに対象の範囲が広すぎるから。また浸水予定区域になる土地の用途が未定だったり、上記の転居費用の負担問題など課題も山積しているようです。できればまた秋にでも訪問してみたいです。

大津波記念碑(岩手県宮古市姉吉地区)

岩手を回った際、以前畑村洋太郎氏の著書「失敗学のすすめ」で見たことのある「大津波記念碑」が隣町にあることがわかったので車を出してもらい見てきました。場所はこちら。

本州最東端のとどヶ崎がある重茂(おもえ)半島にあります。1933年の昭和三陸地震津波被害を出した後、地元の方が建立した石碑で、道端にポツンとあります。この石碑から下流方向には家を立ててはいけないよ、という戒めが記載されています。

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 読みづらいですがこう書いてあります。

大津浪記念碑

高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな

明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て
部落は全滅し、生存者僅かに前に二人後に四人のみ
幾歳経るとも要心何従

 石碑から山道を下った所には姉吉漁港があり、明治三陸地震昭和三陸地震、そして東日本大震災の時とも漁港からここまで津波が上ってきたそうです。海岸からかなりの距離と高さがあります。

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 漁港まで降りてみました。天気も良く、波も静かです。

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漁港から下ってきた山道方向です。写真中央方向に下ってきた山道があり、石碑までは小さな川が流れています。ここを津波が遡行したのか…。姉吉漁港近辺は3.11でも全滅したようで、建物の基礎などがちょぼちょぼ残る程度でした。石碑にある警告を無視して…。

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 ここに来るまでは「昔の人が戒めを残してくれたのに、80年も経つとその意味合いは薄れてしまう、人間は愚かなものだ」とこの事実を他人事として考えがちでしたが、3.11から4年「しか」経っていないのにその事について忘れがちだった自分を省みてはっとしました。帰宅してから懐中電灯の点灯と電池、携帯ラジオの動作確認を早速実施。